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Legend of Mu

ムー大陸を求めて‥
ある海洋地質学者の探求

沖縄の海底遺跡が、失われた大陸ムーのものではないか‥と長年調査研究を続けている人がいる。その信憑性を疑われ、無きものにされてきた幻の大陸を科学的に検証しようとしているのだ。琉球大学の海洋地質学木村正明名誉教授は、まだ助教授であった当時、沖縄海中を潜水調査した結果、「琉球古陸」を発見した。それは、はるか昔に陸であったところが沈んだ土地であった。しかもそれは突然寸断されていることが分かった。

さらに調べてみると、驚くことに年代がチャーチワードの唱えたムー大陸の水没時期1万2000年前と時期が同じだという。木村教授はまた、沖縄慶良間沖などでハイテク無人探査挺を駆使した調査を何度か行っているが、水深600メートルのところで哺乳類の動物の骨を発見したり、また、1000メートルで通常水面の上の方にしかないサンゴ礁をみつけるなどしている。沖縄では、これまでムーと同じような文字を刻んだ石版が多数発掘されているが、木村教授が解読した石には琉球列島の水没をあらわすストーリーが読みとれたという。沖縄には、遥か遠い東の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされるニライカナイという楽園伝説がある。「琉球古陸」こそ「失われた大陸」ムー大陸なのかもしれない…そして、チャーチワードが唱えていたその楽園こそ、ニライカナイであったのかもしれない。

今から100年ほど前、世界で初めてムー大陸に関する事細かな報告を書物にしたのが、イギリスの軍人、ジェームズ・チャーチワードという人物でした。彼の著書「失われたムー大陸」によると「その大陸には、人類史上初めての絢爛たる文明が開花していた。約6400万人の人口を擁するこの大陸には、七つの大都市を中心に石畳の通路が網の様に伸び、官長、宮殿、神殿などの大石造建築物がそびえ建っていた。大西洋のアトランティスをはじめ、世界に広がる植民国家との間に貿易が栄え、港はどこも出船入り船でにぎわい、新しい産物が山積みされ、商人達の叫び声や合図のドラ、太鼓の音が一日中絶えることはなかった。波穏やかな海峡や水路では、美しき服装を身につけ、たくさんの人々が船遊びを楽しんでいた。優雅な楽の音や笑いさざめく声が水面を流れていった。燦々と降り注ぐ太陽のもと、熱帯植物にふちどられた大河が、ゆっくりと平野を横切って流れていた。木の根、草の葉、樹液、花も果実などから香料、調味料、新鮮な飲み物や食べ物が得られたし、栽培らしいことはほとんどしなくても肥沃の大地は自然の恵みを豊かに実らせた。水辺には、ムー帝国の国花であるハスの花が清らかな白い花を浮かべ、木立ちの中には色とりどりの大型チョウやハチスズメが飛び交い、梢ではセミたちが声をかぎりに鳴いていた。」
 最新の科学が見つけ出しているものに、気圧や酸素濃度、酸化の度合いは現在よりも遥かに細胞に好条件であったことが、わかりはじめています。そこから、巨大化また長寿性も見て取れます。
そのような、この世の楽園のようであったムー大陸も「突然の天変地異により、一夜のうちに消え失せ、6400万の住民は国とともに陥没した。」と云います。そして、チャーチワードの提唱したムー大陸は、その後、様々な反論で覆され、チャーチワード自身の詐称行為が認められたという話まであり、ただの絵空事だと、時間のかなたへと追いやられていきました。ただ、チャーチワードがムーについて伝えていたことの中に、ムー帝国が今よりも遥かに高度な科学的文明を築いていたかもしれない‥そう想わせる内容が認められることも事実です。例えば、ムーの人々が崇めていた太陽が何千度という高温ではなく、常温であることをムーの科学者たちは知っていたと云うのです。現代科学では、いまだにNASA(アメリカ航空宇宙局)が公然とは認めていないながらも、多くの良識ある科学者が提唱する「太陽常温説」を既に唱えていたというのですから‥。