インタビュー:Lastraの食とは
Lastraの大切なお客様に供される野菜や果物…。
それはきっと世界でも最高に美味で栄養高い、しっかりした自然本来の恵みあふれた食材となることだろう…。
なぜなら、有機農業さえ、たい肥で土を富栄養化し、土本来のちからを失わせてしまうと憂う今、日本、いや、世界でも有数の自然栽培の大家の指導のもと、栽培されるからだ…。
まさにその作物は、大地そのもの、母なる大地から直接手渡される、最高の自然界からの贈り物…。
MARTH の友である彼は、「Lastra」の美しきハートを持つリーダー(Lastraメンバー)の方々の食の安全を守るために参戦する
「化学肥料や有機肥料などを一切使用せず、 出来るだけ土を自然に保ち、栽培することで土は本来の素晴らしい力を発揮し、その地域に住んでいる人間を養うのに十分な健全な美味しい農作物が豊富に収穫できる」という昭和10年に発表された自然栽培のヴィジョン。その常識とは真っ逆さまのアプローチに困惑した河名氏だったが、肥料を施さずとも、健全に脈々といのちをつなぐ自然の営みを自らの農業体験から目の当たりにし、また、中国の偉人の「その民族の健康状態を知るにはその地の土を見ればわかるものだ」「 土が病んでいれば、その民族は病み、土が健全であればその民族も健全となる」という言葉を感得し、肥料を施さない自然のままの土で育まれた農産物を食すことで人間のからだも病魔に侵されることなく、薬に頼らなくとも健全に生を営むことができる、と医食同源ならぬ医土同源の道を歩み始めた。そして、自然の摂理を応用した自然と調和した自然栽培法こそが人類を病なき世界に導くデザインであると確信した河名氏は自然栽培の農産物をかなめに自然との調和の大切さを世に訴えていくために起業した会社を「ナチュラル・ハーモニー」と名付けた。それは闘う必要のない、自然のバランスをくずさないライフスタイルを探究するためだったと彼はいう。
自然栽培をスタートしたきっかけ
姉の死をきっかけに、人はなぜ病気になるんだろうと、若かりし僕の中ではかなり大きな問題になったのです。人類はこんなに苦しむためにみんな生まれてくるはずがないと思いながら、うっすらだけれど、食べ物と人間の関係みたいなものが見えてきて、自分たちが日々食べている食事というものは果たしてどんなものなのか、そして、その食べた物で人間の体が作られるとするならば、一体ぼくは何を食べたらいいのか等々探究していった結果、自然栽培の世界に出会ったわけですね。そこで、そもそも生命体において病気なんかはないんだということを聞かされたんですよ。 病気が存在する理由は、自然との調和のずれがあるがゆえの現象であって、その調和のずれを戻すための手段が病気なんだ、という考えにかなり衝撃を受けました。自然栽培はただの農業技術じゃない、人として生きていく上で自然の摂理を知る最高のバイブルになるような気がしたので、18歳の僕はそこにのめり込んでいって、自然栽培という、もちろん農業中心ですけれど、そこから見えてくる人としての本当の生き方というものを探る流れになっていったのだと思います。
食を正すことの重要性
自然とうまく調和しているときに、病気というものはないんだということを仮に前提としたときに、病気になったものを力づくで抑えていくことは多分正しくないだろう、そもそも人間はどのようなものを食べるようにできているか多分ルールがそもそもあるはずだなと…そのルールを知って、人が本来の食事を、それを正しいって言っていいんだろうか、本来の食をとりこんで行きさえすれば、基本的に人間の生命のしくみは滞りなく、スムーズに健全に生きることができるんじゃないかなあ、そこに自分は重きをおいているので、何々が体にいいよねというとらえ方ではなくて、それ自体が、人間が本来食べるべき、自然と調和した食事かどうか、ここが一番肝になるなあと思っています。それを日々楽しく食べていれば、気がついてみれば体は自然と調和した、病気になる現象のない、ライフスタイルになるのではないかなと思うので、一言でいえば、正しい食イコール自然と調和した生産物を摂ること、ここが一番大きなポイントではないかなと思っています。
真の健康とは…
少なくとも、真の健康というのは、自分の頭脳で計算して勝ち得るものではなくて、自分が自然と調和したときに与えられしもの、後からついてくるものだと思うので、近年、どうも戦略的な健康を追う人たちが多いかなあと感じるのですが、真の健康を求めるならば、健康を追わないことじゃないかな、調和を追うというか…。どうしてもやはり局部的な効能とか、良しあしという、ある意味わかりやすさを求めてしまう人間の性(さが)に対し、もう一つ大上段に構えて、至近距離じゃなくて、もうちょっと遠くを見据えた価値観というものが、多分、この自然栽培とか、本来の食の世界が見えてくるような気がするので、真の健康というものは、与えられるものなのだと思います。
ただその中でも100%自然と調和して生きるのは不可能だと思うので、そのアンバランスは、日々自分の中で理解しながら生きているんですね。なので、その時はある意味、病気という現象でもとに戻っていくことには感謝して、だから、病気というものに対して、自分を浄化できるひとつの現象として受け入れて一見世の中的には悪の構図だとは思うのですが、それを悪ととらえないで受け入れていけるかどうか…、でも痛いから、苦しいから受け入れたくなくて局部的な効果効能を追ってしまうこの世の中の価値観を根源から素晴らしき調和へと変えることがこれからの僕の仕事なのかなと思っています。
ラストラマナプロジェクトへの抱負
基本的に、今、私が述べたような価値観というのは、ほとんど受け入れられることなく、水面下に押し込められていった概念というか、当然、その発想は、反常識的な要素もはらんでいるかのごとく扱われてきましたし、そこの部分をMARTH さんなりが、ピンポイントで感知したということは、僕はかなり衝撃だったんです。さらに、生き様も垣間見せていただいて、MARTH さんは、ある意味、この地球上の人類が生きていくうえでの、ひな形だという気がしてしまいました。
そのひな形、言ってみれば、モデルみたいな、こうやれば、人はきっとやさしく生きていけるんだよ、というのを地で生きてこられている、それにこの食をプラスされることによって、なんか完成されているかのごとくに見えたので、ひな形は、多分、一緒に組めばできるんじゃないかなと…ひな形は、形ですから、形は広がるためにあるので、いろんな方々とつながって、その形が拡大していく結果が、多分、人類が救われる道につながるんではないかなという希望を持って、今日もここにお話に来ました。ある意味、与えられしというか、私からすれば、ですから、私にしたら、出会うべくして出逢わせていただいたと思っています。
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